■インターネット週刊誌 号外■ <1999年2月2日> ◇◇◇◇青島東京都知事出馬せず◇◇◇◇ 青島都知事が2月1日と知事選に出馬しないと会見。青島知事の評価はいろいろで最近 は余りよくないようだが、唯一多くの人が功績としているのは世界都市博覧会の中止 。公約だから当然なのだが、なぜ受け入れられたのか。バブルの反省も含めて振り返る。 ○世界都市博覧会とは何だったのか 世界都市博は臨海副都心開発促進のためのイベントであるが、当初から計画されてい たわけではない。臨海副都心開発は1980年代前半から本格検討されてきたが、実行段 階の80年代後半になって、開発ブームの真っ只中にさらされた。大フィーバーとなっ て各区画の競争率は高騰、企業は呉越同舟それぞれグループを作って提案合戦となっ た。ところが実際に事業化が進む90年代になると一挙に冷え込み、建設が思うように 進まない状況になった。 そこで、もう一度盛り上がりを実現すべく登場したのが世界都市博であった。突然 表われたイベント。鈴木知事の思い入れもあってどんどん進んでいく。しかし、バブ ル崩壊後の企業は慎重気味で金のかかるイベントには消極的。足並みが揃わないまま 、95年3月の開催が決定された。鈴木知事は世界都市博の開会を花道に引退するとい うシナリオである。知事選は95年の4月だから、予定通りであれば青島知事の出番は なかったわけだ。 ところが余りの拙速に出展者はついて行けず、ついに一年間延期せざるを得なくな る。当然盛り上がりも今一つ、博覧会ブームの後だから市民も食傷気味。元気が出な いまま選挙を迎えた。もともとやる予定がなく、しかも一年遅れ、その効果もはっき りしない。さらに博覧会という名前はついているが、正確には国や国際機関が認めた 正式の博覧会ではなく、単なる東京都のお祭り。悪い要素は重なり、ついに中止の憂 き目に。 最も迷惑したのは、一年後の開催に本格制作段階に入っていた企業や団体で、せっ かくやる気を出していいものにしようという段階で、身を切られる思いだったろう。 しかし、経緯を冷静に見れば中止やむなしというのが正論だろう。つらい判断だが正 しい判断だから世論に受け入れられたのだ。中止後の処理は円滑で特に中小の関係者 に損が生じないよう配慮された。中止のコストは税金が投入されたが、納税者の判断 が尊重されたのだから問題無い。それに実行してたらもっとコストがかかっていた。 ○ 臨海副都心開発はどうなる 臨海副都心開発は、そもそもバブル期のかなり前に、東京都心への一極集中を緩和 するための機能の分散策として、新宿、池袋、渋谷、上野浅草、錦糸町亀戸、大崎と 並ぶ7番目の新都市として計画されたものである。東京30年50年の計で考えられ ていたもので、決して開発ブームに踊った構想ではない。21世紀前半を目標に進め ていくのが当初の予定で、青島騒ぎが幕を閉じて、もとに戻ったというところだ。 準備5号(2月8日号)のキーワードは、急遽この臨海都市開発特集とする。 ご意見ご要望は mrich4@gsh.co.jp までお願いします。 -------------------------------------------------------------------------- All Rights Reserved , Copyright(c) (株)三菱総合研究所 1999
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