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平和に、大成功して欲しいですね
応援しないともったいない! sideB的北京五輪注目選手(前編)(後編)
2008年8月5日 (text by sideB編集部)
フェンシング・千田健太選手

今回の北京五輪には、親子2代に渡って五輪出場を決めた選手が3人います。重量挙げ女子48キロ級の三宅宏実選手(父・義行さんは1968年メキシコ五輪の重量挙げ銅メダリスト)と、トランポリン男子の外村哲也選手(父・康二さんは1984年ロサンゼルス五輪の体操団体銅メダリスト)、そしてもう1人が千田選手です。

ただし、千田選手の場合は他の2人とは事情が異なります。千田選手の父・健一さんがフェンシングの日本代表に選出されたのは1980年のこと。開催の2ヶ月前に日本が不参加を表明したモスクワ五輪の代表選手だったのです。その後、健一さんは五輪の舞台に立つことはなく、高校の教師となって後進の指導にあたりました。

千田選手が生まれたのはモスクワ五輪から5年後の1985年。子供の頃からフェンシングの練習していてもおかしくない環境ですが、健一さんは、フェンシングを勧めませんでした。千田選手がフェンシングを始めたのは中学1年の時。自分の意思でフェンシングをやることを決断しました。健一さんはこれを待っていたそうです。

その時から、父子の特訓が始まりました。試合で有利になるように、右利きだった千田選手を左利きに直しました。中学3年で東北ジュニアチャンピオンに輝き、高校に進学すると、父が着任して監督と選手の関係になり、より厳しい練習に明け暮れました。着々と力をつけた千田選手は、高校のインターハイで個人3位の成績を収めるまでになったのです。

そして、今や世界ランキング13位の選手となりました。千田選手は「フェンシングは自分のためにやっている」と言います。ただ、父・健一さんの自宅の部屋には、モスクワ五輪の代表選手に選ばれた時にJOCから贈られた認定証が飾ってあり、千田選手は幼い頃からその認定証を見て育ちました。父が立つことができなかった舞台に千田選手は立つのです。

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北京五輪のメダルは、五輪史上初となる宝石があしらわれています。この宝石は「玉(ぎょく)」という中国古来の宝石だそうです。日本人に限らず五輪に出場する全ての選手が、北京の舞台で、この宝石よりも眩しく輝く17日間が始まろうとしています。

ただ残念なのが、北京とは時差が1時間しかないので、昼間の競技はリアルタイムで見ることができません。ワンセグ観ながら仕事してもいいでしょうか・・・ダメですよねぇ、やっぱり。

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